ハレトケブログ

現場での学びを記します。

良い時も悪い時もやってくるけど、常に自分の軸で判断する。

スポーツ観戦が好きな人は「ゲームの流れ」というものを感じたことがあると思う。片方のチームがずっと優勢だったのに、気づけばずっと劣勢になっていたりする。攻撃と守備を両チーム(もしくは両者)が適度に繰り返すようなシーソーゲームはなかなかお目にかかれない。

 

自分たちの流れなのか、相手の流れなのかがはっきりとして、良い流れなら悪い流れになる前に勝負を決めにいき、悪い流れなら良い流れがくるまで耐え凌ぐ。流れは細切れではなく一定の時間の塊だ。何がきっかけにそうなるかはわからないけれど、チーム間に実力差があっても少なからずそれは生じる。

 

昨年のサッカーワールドカップの日本-ベルギー戦はそれがはっきり表れていた試合だった。残り38分時点で2点をリードされたベルギーは完全に日本に流れを譲っていた。しかし、僅かな時間でそれを自分たちに手繰り寄せ、3点を奪い返す。65分にシャドゥリとフェライニが投入されてからは、まるで違う試合が始まったかのようだった。

 

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この勝負事の流れというのは何なんだろうかと幼いころからずっと不思議に思っている。サッカーでも野球でもバスケットでもどんなスポーツにも流れの移り変わりがあり、目が肥えるほどくっきりと見える。自分でプレーしていてもそれをはっきりと感じる。

 

昔、森で野生の猿に出会ったことがある。「どんな動きをしてくるかわからない」という恐怖に襲われた。流れというのは気まぐれな野生動物のようで、その時と似た感覚を覚える。「いい試合してたのに負けちゃったよ」というときは大体これに飲み込まれるものだ。僕は常勝チームに所属したことも、常勝チームを応援したこともないので、ずっと暴れ馬にいいようにやられている感じがしている。

 

でも、強いチームや選手の試合を数十試合見てみると彼らはそれを乗りこなす。どんなに劣勢でも必ず最後に流れを手繰り寄せる。たとえ、一試合負けたとしても次の試合では勝ち切り、長期的な流れは決して手放さない。

 

もちろん技術や戦術での実力差もある。でも、なんというか他のチームとは異なる「姿勢」が際立つ。どんなに攻撃されても、得点を奪われても、淡々としている。逆に自分たちに流れがあっても淡々としている。目の前の事象を冷静に捉え「自分たちが適切だと信じる方法で対処することを徹底している」ように見えるのだ。

 

このことをもう少し噛み砕いてみたい。そこには二つの姿勢があるのではないかと考えてみた。

 

一つは流れに必要以上に関心を持たないこと。サッカーのスペイン人監督はよく「Partido a Partido(一試合一試合)」という言葉を用いる。「次の試合のことだけを考えている」ということを意図した言葉で、それよりも先のことを語ることを嫌う。この言葉は、流れに関心を持たない姿勢の表れだと捉えている。前回の試合まで何連敗していたとか、逆に何連勝していたとか、もう3試合勝てば優勝が決まるとか大きな流れについて関心を示さず、直近の試合で何をすべきかだけを考えている。もっとミクロな試合中においては、その瞬間ごとを大事にしていて、それまで優勢だったことや劣勢だったことについて気にすることがない。ただ目の前の局面を正確に捉えて、自分たちの基準で評価し、自分たちが信じる対処を行う。流れを乗りこなす主体には、ただこの一点に集中する凄まじさを感じる。

 

二つ目は攻撃と守備を分けて考えないこと。勝負事の流れというものは、優勢と劣勢、すなわち、攻撃しているか守備をしているか、という判断軸で決められている。攻撃をしているときは何とか仕留めたいし、守備をしているときは何とか凌ぎ切りたい。ふつうはそんな風に考える人間が多い。しかし、流れを乗りこなす主体は攻撃と守備について同時並行的に考えている。この陣形での攻撃の場合は終わったあとにどう守備に入るべきか、この守備をどのように終わらせれば効果的な攻撃に繋げられるか、と。攻撃と守備を分けずに同じ流れの一つとして見ることで、優勢が良いとか劣勢が悪いという基準を曖昧にしている。劣勢だったからこそ生み出せる優勢がある。そんな風に捉えることでどんな流れにおいても「ブレずにやるべきことをやる」ということが徹底されているように見える。

 

「強い主体」というのはどんな流れの中にあろうと、流れに気を取られずに目の前のことだけに集中しており、攻守を一体のものとして捉えることで流れの良し悪しへの関心を曖昧にしていると言えるのではないだろうか。

 

人生や仕事においても同じことが言えると思う。人生を楽しんでいる人は良い時も悪い時も、自分の判断軸に従って決断することだけに集中している。また、良い時にも悪い時にもそれを冷静に捉えて、次のターンに生かしている。逆に人生に生きづらさを感じる人は、良い流れと悪い流れに右往左往させられているだけなのではないだろうか。

 

「良い時もあれば悪い時もある」「明けない夜はない」「良いこと(悪いこと)は続かない」など流れに関する表現は多々あるが、そもそも流れを意識しすぎること、良い悪しの基準で評価することは、生きることの邪魔になるのかもしれない。

 

人生の勝ち負けというのは客観的な判断ではなく、主観的な判断だ。主観的に「勝ったな」と思えるのは、流れの良し悪しの境目を曖昧に捉えて、流れに影響を受けず自分の軸で判断し続けた結果なのだと思う。