ハレトケブログ

民族研究からセールスにピボット/受注額8年8億/営業プロセスを整理してみています

人間は合理的動物ではなく合理化する動物

私たちは自分の意志で行動を選択している。

これは現代社会の前提とも言える当たり前の命題である。これを食べる、これを着る、これを買う、ここに行く、こう言う。私たちは日々、様々な選択をし続けている。そして、「私」という主体が存在し、その「私」が自ら主体的に行動を選択していると誰もが信じている。

「私」が主体的に選んでいるからこそ、そこには「自由」があり、一方で選択の結果に対しては「自己責任」を問われる。これこそが個人主義的な社会の様相と言え、理想的に語られる「個人の自由」である。

しかし、果たして本当に「私」自身は行動を選んでいるのだろうか。今いる職場環境や仲間、教育環境や家庭環境、もしくは国の力によって行動を選ばされているんじゃないか。時々、そう思ったりもする。

最近、『社会心理学講義』 (小坂井敏晶/筑摩選書)という本でフェステンガーの認知不協和理論という学説を知った。フェステンガーは、人間は自らの態度と矛盾する状況(認知不協和)に陥った時、その状況を肯定する行動や態度をとると指摘する。

社会心理学講義:〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉 (筑摩選書)

社会心理学講義:〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉 (筑摩選書)

  • 作者:小坂井 敏晶
  • 出版社:筑摩書房
  • 発売日: 2013-07-18

彼は、実験者に自分の意見とは反対の立場から意見を書くよう指示する。そうして反対の意見を書かせた後に報酬を渡し、再度意見を確認するという実験を行った。報酬は高額と少額の2グループに分けた。

結果は、報酬が高額だったグループよりも少額だったグループの方が実験後に意見を転変える人が多かった。この結果に対するフェステンガーの考えはこうだ。

高額の報酬をもらった場合、自分の意見に反したことへの矛盾は小さい。「正当な対価をもらって実験に協力した」と考えられるから。しかし、少額の場合、この矛盾は大きい。「自分の意見に反したことをしたのに、大した報酬ももらえない」と、矛盾感(認知不協和)が大きいのだ。そうすると後者は無意識にこの矛盾を解消する為に自らの意見を変えてしまう。人間は自らの意志と異なる行動を取った場合、認知不協和の解消を通じて、自らの意志を変えてしまうというのだ。

人間は合理的動物ではなく合理化する動物であり、意志が行動を生むのではなく、行動から意志が形成されている、というのがフェステンガーの主張だ。つまり、個人が置かれている状況下で取らされた行動に後から意味づけをして、「自分で行動を選択した」と思い込むのが人間である、と。

社会の中で自分の置かれた状況に応じた思考を人間は持つ。 これはSNS時代に於いて非常におもしろい指摘だ。私たちは日常では接することのない多くの人々からの発信を受けて暮らしている。様々な意見や情報は、知らぬ間に自身の行動に影響を与えているのかもしれない。

私も外部環境が選択させた行動を「自分が選んだ」と思い込んでいるという可能性を頭の片隅に置きたい。「自らの正しさ」「自らの誤り」に意識を取られて生きていくことはおもしろくない。自分の選択の是非を考えることから離れ、私の行動を規定する人間関係やSNSを理想的なものにメンテナンスすることの方がよっぽど重要かもしれない。